東日本大震災 被災地を巡って

東日本大震災 被災地を巡って  全理連中央講師会幹事長 池田道治


この度の東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福お祈りすると共に被災された方々に心よりとお見舞い申し上げます。

去る5月2日、被災地である宮城県石巻地区周辺を被災地の方々へのお見舞いをかね巡ってまいりました。地震発生以来いち早く行動したかったのですが、叶わず1ヶ月と20日も経過した後でのお見舞いになってしまったことを大変な申し訳無く思いながら感じたことを綴りました。
最後迄お読み頂ければ幸いに存じます。

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手記

被災地を巡って 手記

2011年5月2日(月)
午前5時
いつもの出講時とは違った緊張感で目が覚め仙台行きの臨時便に乗る為に伊丹空港へ。途中 JALからのメールで「仙台空港上空が強風の為に、伊丹空港へ戻るか羽田空港に着陸する可能性を含んだ条件付きの運航に決定」と連絡が入る。無事に仙台に着く事を祈りながら搭乗手続きを。

午前8時15分
いよいよ出発
一日2便の臨時便はほぼ満席状態で、ほとんどが被災地のお見舞いやボランティアの方々の様に見受けられる。
観光目的で搭乗されている方がいない雰囲気は少し重い空気が流れている。

午前9時40分
やはり強風の影響か、 定刻より少し遅れ無事に仙台空港到着。
飛行機の中から確認できる景色はメディアで見るそれと同じ。しかし、メディアのフィルターを通して見るのとは違い、より一層胸が苦しくなる。
空港施設もまだまだ整備には時間がかかりそうで、出来る最少の設備のなかでの運営のようである。しかし、そんな中でも空港職員の方々は本当に一生懸命に乗客への気遣いをされているのが印象的であった。

午前10時
先に仙台入りしていた羽鳥・松田両副幹事長と合流し、一日の行動を確認しながら、石巻市に向かう。
車から見る景色は飛行機の中から見えたものよりもっと近くで確認出来る為、言葉を失う。
スクラップ状態に積み上げられた車や津波の後のまま放置された状態の車が。目に入る全ての状況はショッキングである。
被災状況が地域によって随分違い、東北自動車道が津波を遮って助かった場所もあり、「運」がそこには存在している。

午前11時15分
石巻の知人を訪ね当時の状況をお伺いすることが出来た。
ご自宅は高台に有り津波の影響は受けなかったが、ひどい揺れで家の土台にクラックが出来たとのこと。ライフラインがストップし寒さの中みんなで小さなストーブを囲んで寒さをしのぎながらの生活は今思い出しても大変な状況で、毎日涙を流して暮らしていた。そして、今もなおテレビに出る情報を見ると泣かない日は無いぐらいだと。
地震時 自宅に居た息子さんの友達が両親と連絡が取れなくなり、車で高台から降りて様子を見に行こうとしたが、こんな所迄!と思える場所まで冠水してどうしようも無い状態で、とても探しようが無く、その事を息子さんとその友達に伝えると二人は夜中にこっそりと家を出て自分達だけで家族を探しに行ったらしい。その時多数の犠牲になられた方々を目にしながら救助活動も行い、幸いにもご家族は無事だったとの事。普通では絶対目にしない光景で有るが、一緒に行動した息子さんは少し大人になって帰ってきたようだ、と。
未曾有の事態の中から生まれる勇気や行動力によって数々の方々が救われている。

正午
途中の道路はまだまだ瓦礫や泥が残り、歩道には海から流されてきたボートが横たわっている。復興に向かっての道程の険しさと長さをしみじみ感じる。

午後1時30分
知人が「ここから情景一変しますよ」と。
車の外を注視していると、今迄の驚きがまるでプロローグの様に思える程の惨状が目に飛び込んでくる。家、車、ビル、コンビニ そこに存在する全てのものが破壊され、形を留めてているものが殆ど無い。かろうじて建っている家が逆に不思議に思えてしまう。瓦礫の片付けをされている方もまばらで、その姿に無力感が漂う。
建物の中に車が縦に突き刺さる様に突っ込んでいて、道路はもとより周りに有る畑には無数の車が、いつになったら引き揚げることが出来るのだろう、全く予想も出来ない。しかし、知人曰く、「随分よくなった方ですよ。この状態でも!」
全国各地から集まっていただいているボランティアの方々や自衛隊の皆さんが一生懸命全力で動いていただいても未だ未だ足りない。宮城県石巻市だけでも大変なのに、太平洋側に縦に600キロあまりの範囲でこのような状態で有れば無理も無い。気の遠くなる程の復興への道である。

午後2時30分
海岸線の国道398 号線をひた走るといきなり渋滞に巻き込まれる、自然渋滞では無く片側通行で交互に走るので動かない時間がしばらく続く、その時知人から「これから先は入れるかどうか分かりません、もし、入れそうだったら入りますか?集落ごと流されてしまって、16件有る理容サロンのうち15件は流されてしまっています。何も残ってないです」と告げられる。そんな話をしている間に渋滞が抜け、集落ごと流された牡鹿郡女川町に入る。
本当に言葉を失う。何階建てかも判らないようなビルの最上階当たりに乗用車が突き刺さり、船もビルの屋上に乗っかっている。
道を左曲がると小高い場所に女川町立病院が有り、その2階付近迄水が上がってきたと言う。港に有る施設も何もかも破壊され、本当に町が壊滅している。本当に無惨だ。そしてなんと120センチも地盤が沈下している。普通にしていても、水に浸かる場所が有り、大潮の満潮時には大変な状況になるで有ろう事も容易く想像出来る。
人間が世の中を支配し、自分たちが作り上げてきたように錯覚をしているが、私達は自然界で誕生し進化しながら生かされてきた。地球規模で見ると各地で起こる地震やハリケーンなども自然界のちょっとしたくしゃみ程度かもしれない。また地球で起こる現象も宇宙から考えると目に見えない程の現象なのだろう。
自然界とうまく付き合って行かないといけない。どんなに大きな堤防を作ろうとも、どんなに深い所にシェルターを作ったとして「想定外」という簡単な言葉で片付けてしまう程あっけなくやっつけられる。

午後3時30分
そんなことを感じながら女川地区で一件だけ残ったサロンの方よりお話を伺った。
「地震発生後津波の第一波が来た時に、まだ何とかなる状況だった。一旦水が引いた時に、『今だと』と思い、急いで車に乗って自宅に向かった。自宅はかなり高さのある丘に在るが、津波の押し寄せて来る波の方向に走らなければ行けない場所に在るので、一瞬の判断で海に向かって車を走らせ無事に自宅に辿り着いた。おそらく躊躇していたらどうなっていたか判らない。」と。わずか20分足らずの間の行動である。
サロンの南側は線路で直ぐに南には内海が広がっている。どう考えてもその海から大量の水が押し寄せて来るように思うが、不思議なことにサロンの北側に在る道路から水がやって来た。その地区の方々はご存知なのであろう地形が作る不思議を。
「サロンは鏡の下あたり迄水に浸かり、床がダメになったので、大工さんにお願いし床上げを行い営業に備えたい。しかしまだボイラーもダメだし、床上げしたからシャンプー台の高さが合わなくなったから如何しようか考えてる。何れにしてもお客様から当分お金はもらえないね。」とお話し頂いた。

午後4時30分
石巻支部長と連絡が取れ、サロンにお邪魔する事に。その頃には至る所に水が上がり車も通れなくなる可能性が有ったが取り急ぎ支部長宅へ向かった。地域ではまだ自衛隊の給水車両が配置されていた。
到着した頃 支部長は奥様と瓦礫の片付けをされている最中でしたが40分間程お話を聞かせて頂いた。「すごい揺れを感じ、これは大変だと思ったがチリ地震の経験も有り、そんなに大変な津波は来ないだろうとたかをくくっていた。しかしラジオを聞いて何と無く不安になり自分以外の家族を取り敢えず直ぐに高台の方へ非難させた。暫くして2階に上がって海の方を見ると、いつもの水平線の高さとは全く違う高さで、しかも真っ黒な波がすごい勢いで押し寄せるのが見えたので、これはやばいと思い2階でしっかりと身構えた。水は2階に居る自分の膝上迄来ていてやっとの事で耐えれた。しかし、たった一人で過ごすのも怖かった。一晩過ごし周りを見ると建物という建物が崩れ、隣家の屋根が店の玄関先に有ったり、裏の家の屋根がその上に重なってたりで2階から外にも降りる事が出来ないくらい大変だった。」茫然自失状態で、何が出来るかも判らない状態の時に店の中で泥に埋まっているハサミを見つけられ、そのハサミをちょっと手入れするとピカッと輝いた。それで「よし」と言う気持ちになられたそうで、今は少しづつ 近くの方々をカットしていらっしゃる。今のところ無料でボランティア的に行っているが、いつ迄もそんな事ではいけないので期限を決めてきちんとお金を頂戴しながらの営業になればと考えていらっしゃるようだ。
しかし、心配されるのは、組合員がサロン再開に向けてなかなか前向きにはなれず廃業を考える方々が多い事だと。そして、「サロンの再開に向け、業の継続を目指す組合員にはしっかりと支援してあげる仕組みを作る事がとても大切だ。」と訴えていらっしゃった。
また、ボランティア活動で他府県からも理容師が支援の為に来て頂ける事に感謝されながら、いつ迄もボランティアでは無く、少しでも稼げるように取り組んで行かないといけないね。とも。「我々の仕事は良いね。みんなで周りの人達が心配してれて『床屋さん大丈夫か?』って。ちゃんとやってたら本当に良いよ。」ともおっしゃっていた。「一生懸命やっていればみんなで助けてくれる。お客さんも地域のみんなも。本当に人間は心だね」としみじみ、時には目に涙を貯めてお話ししてくださった。
因みにこの地域は70センチ地盤が沈んだ。

午後5時20分
支部長宅を後に次は野蒜駅を目指し進む。
この地域は70%は被災している。小さい町だがやはり瓦礫の山で川には車やバスが 突っ込んでいる。全く手付かずの状態だ。ここにも地形に助けられた場所が有った。野蒜駅から北東に向かう松島への湾岸部。ここは内海で無数の島々(宮戸島、桂島、寒風沢島等)が地域を守っている。

午後6時30分
松島を抜け多賀城市へ移動。途中、橋の周辺に車や船が乗り上げ、ここもまだまだ手付かず。
ここ迄の時間と場所の変化の間にどんどん感覚が麻痺して行く。仙台空港に降り立った時の感覚からどんどん惨状のレベルが変わる様を目にし、何が普通で何が大変なのか判断出来ない状態になりつつある自分に気が付いた。 こんな感覚は全く始めてである。
多賀城市で松田副幹事長の知人である業界の方とお会いし、お話を伺った。
津波の後、自転車で地域を走り、仲間や地域の方々の安否確認に奔走された。
多くの仲間から励ましの言葉を貰った。一番嬉しく、そして励まされた言葉は「俺たちに何が出来る?そして、何が必要?何でも言ってくれよ!」と言う言葉である。ただ単に「大変だけど頑張ってね!」「何もしてあげられないけど頑張ってね!」の声をいただいた時は、「え、何もしてくれないの?」と思い、とてもきつかった。と。
ついつい私達が使ってしまう言葉、「何もしてあげられないけど頑張ってね 」 じゃ無く、出来る事を皆で考え行動する事である。そして、今必要な事は何ですかとの問いに「被災地の理容師の復興の為に本当に多くの支援を頂き感謝しきれない程の感謝です。続々と届く物資もとても有りがたいです。そして、私が今必要としているのは今後どのようにして行くかのアイデアです。知恵なんです。」と切実に語っていらっしゃった。
またこの方も高齢理容師の方の廃業を危惧されている。「避難所にいらっしゃる75歳の女性理容師の方が気持ちを切り替えて『仕事』に対して前向きになった時にハサミがない事に気が付き、組合にお願いしたところ「ご自身で組合迄の取り来てください」と言われ。しかし、この方の場所から徒歩1時間かかる。往復2時間かけて歩く事は無理だと、失望感の中で理容の業に終止符をうたれた。仕組みや形式も大切だけど、考えないといけない事も沢山あるのでは!」と語っておられた。
今本当に必要な事は、身体と時間を使い、現場での復旧活動、支援活動をしてくださる方、莫大な復興資金、そして適材適所、知恵とアイデアでのトータルコーディネート、そして皆の暖かい心だと思う。
決して簡単に答えが出るわけでは無いがそれぞれの立場で取り組んで行けば、積み重なって来るのではないだろうか。
最後にお話を伺った方は、サロンの被害は他の所に比べ軽かった。そして、周りから「被害が少なくてまだ良かったね」と言って頂けるが、「地域の70%の方々が被災されたので、サロンを再開に向け頑張ってもお客様が来ていただけない。メディアでは「復興して、またこの地域で暮らしたい」と、とても前向きに語っていらっしゃる方々ばかり紹介しているが、現実はそんなものじゃないです。いつ津波に襲われるか判らない場所で、危険と隣り合わせ。やっとの思いで復興出来たとしても不安の中で暮らすのはごめんだ。と考えている方々が沢山いらっしゃる。だから私達のサロンも考えなければ・・・」と。
また、「避難所では仮設コンビニ等も出来ている。これからまだまだ長い避難所生活や仮設住宅での生活が続く、当然我々業界人の中にも。資金面を考えるとサロンの復興も難しい状況に有る。仮設理容所等も是非考えて欲しい。」と訴えられていた。

午後7時30分
まだまだ話は尽きないが多賀城市を後に仙台市内のホテルに向かう。町の中は昼間警察官の方々が交通整理等で沢山いらっしゃるので車も安心だが、地域ではまだ信号がついていない場所が有るので、夜の運転は本当に慎重に運転しなければ危険だ。また、信号が消えている時は一切事故が無かったのに、つくようになった途端事故が起きるようになったらしい。譲り合いと自己主張の違いがそこに有るようだ。

午後8時15分
仙台駅に到着し、地元でボランティアに精力的に動いて頂いている中央講師の西條さんと早坂さんと合流し、それぞれの活動報告を兼ねて意見交換と夕食を取り一日を終えた。
お二人も被災されているにもかかわらず復興の為に日夜動いて頂いている。その他の被災地にいらっしゃる中央講師の皆さんが同じように活動されている。
本当に頭の下がる思いである。

午後10時
ホテルに戻り今日一日を振り返る。落ち着いてみる涙がとめど無く流れる。
被災地の現状を目にし、遠くに有る復興への道の険しさを考えると。

5月3日午前8時
朝食後、仙台空港へ。
今日はゴールデンウィークの中日。サロンに午後2時に戻る予定。
仙台空港では臨時便に乗る予定の方々で若干混んでいる(と言っても限られ
たスペースでの運営なのでその様に感じるだけかも)
やはり、帰りの飛行機には医療チームの方々やボランティアチームの方々が多く搭乗される様で、皆さん超お疲れの様子。
私も心の疲労感でボーッとしてしまっている。

午前10時15分
定刻通り出発 仙台空港を後に。

東日本大地震が引き起こした巨大津波・地盤沈下・地滑り・原子力発電所の事故・風評被害や電力不足による二次被害など、恐らく全国でその影響を受けた方々が多勢おられる。原子力問題は地球規模の問題であり、私達の手に負える様な問題では無い事ばかりだが、たとえ僅かな力でもでも皆で支えあう事が本当に必要で、今多く方々が心の中から湧き上がる気持ちで一生懸命ボランティアをしてくだ さり、金、雇用、住居、教育、物資、情報、医療などあらゆる方面からの支 援が行われている。そんな中で、メディアに報じられないような事件や略奪も有ったようだ。しかし、ある発展途上の国の子供達が「私たちは普段から食べるのを我慢しているので平気、だから少しでも日本の子供達に支援して上げて」と言ってくれている。今世界が一つになって日本の復興を応援して下さっている。
そして、世の中でとても影響力を持つ方々が義援金活動やボランティア、チャリティーと動いて頂いている。メディアを使いどんどん活動の輪を広げている。私達全理連中央講師も業界の中においては少なからず影響力が有るので、それを活かし復興へのお役に立てればと考え、また多くのアイデアを頂ければと思う。業界が抱える諸問題も多いが、今こそより一層絆を深める時。我々理容師の力の出しどころでは無いだろうか。

全理連中央講師会 幹事長
池田 道治


限られた時間の中で自分の目で見て心で感じたことは 凄惨さと、僅かだが確かな復興への足取り。そして人の強さと暖かさ。大自然の強さと恐ろしさです。また、過去の経験や先人の教えも活かし、様々な備えの大切さも改めて。

少しでも早く豊かな暮らしが取り戻せる事を祈りながらペンをおかせて頂きます。最後迄お読み頂き誠にありがとうございました。

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宮城県組合より